迫られる、次の決断

- ダステックの社員たち
「何を、どう切るか」
ダステックの今の経営の方向は、「何を」を決めるのはお客様だ、とした上で、「どう切るか」に特化している。
お客様にテーマをいただき、自社のスライシングマシンをカスタマイズして納品する。
お客様の夢に自分たちの夢を重ね、より効率的に切るという付加価値に共にチャレンジしていくのは、悪くない。大きな喜びがある。
吉田の懸念は、これらが過去の遺産の上に成り立っている、という点である。
確かに製品群を持っているメーカーではある。
改良を重ね、凍結仕様などオリジナルに近い機械も生み出している。
だが、ベースはダステック以前の技術でありそれを引き継いできたに過ぎない、と吉田は思う。
現在製造するものは、全て「ヒモ付き(お客様のニーズありき)」なのである。
吉田がまず造りたいのは、純粋な「ダステック第1号機」である。
構想はある。スタッフに、成し遂げる力もついていると信じている。
だが、これはビジネスの話。
1号機を造るということは、2号機、3号機へ至る道をイメージしておくということである。
どう売るのか、そのための算段をしておくということである。
吉田の夢は更に続く。
切断にかかわる全てを、一貫して提供できるメーカーに育てること。
ダステックは切る手段として「ブレード」を用いているが、これをも自社で造りたいと考えている。
ブレードは、古巣ディスコの十八番(おはこ)である。
だが、「切ること」に責任を持つためには、挑戦せざるを得ない大テーマ。
大きな夢が、目前にある。
創業から6年を迎える今、新たな決断の時が迫っている。
今が断然面白い!
疾走する50代後半になろうとは、思いもよらなかった。
「数奇な運命だなぁ」と感じることもある。
自分の意志とは異なる人生を歩んでいるなぁ、とも。
だが、後悔しているわけではない。
例えば、お客様の現場へ入る。
納入しているスライシングマシンが、油やホコリまみれになっている。
気になってしょうがない。拭きたくなる。
サラリーマン時代は、平気だったのに…。
自社製品が、我が子のように可愛いと思える。
そんな気持ちを味あわせてもらえて、感謝している。
例えば、期待していたような能力を発揮していない社員がいたとする。
サラリーマン時代なら人ごとであった。
経営者であるから、ほおっておくわけにいかないのは当たり前として、
この人に能力を発揮してもらうために、何をどう言ったらいいのだろう、と考える自分がいる。
そのことにびっくりする。
かつては、マネジメントという言葉にさえ無頓着であったのに!
以前、10年若かったら、という考えが頭をよぎったことがある。
すぐさま、待てよと思った。
確かに、体力的・気力的にはいいかもしれない。
でも、多分、ダメだったろう。
いろいろな経緯があったからこそ、今がある。
お客様に、心からありがたいと思える。
経営者として足りないことだらけなのに、みんながやってくれる。
オレ、幸せなのかもしれないなぁ。
仕事を始めた時からひきずっていたモヤモヤは、半導体への未練であり、澱のように心に溜まって吉田に未来を見せなかった。
それを断ち切った今、胸に湧きおこる新たなモヤモヤは、吉田を奮い立たせ前へと向かわせる。
ダステックを始めてからの今が一番面白い、と断言する吉田俊治、60歳。
本気の人生は、まだ始まったばかりである。
※「エンジニア社長物語」は、2007年10月にコム・ストーリーにより取材・執筆されました。
※年齢など数値は、当時のものです。






